最近、シャッターを切る手が、少し重い。
AIが写真を作れる時代になって、これまで積み上げてきた技術や経験の意味が、少しずつ揮発していくような感覚がある。悪いことが起きたわけじゃない。ただ、「このままでいいのか」という問いが、静かに、でも確実に、日常の中に居座るようになった。
仕事をしないと、生活できない。
明日病気になったら、収入は止まる。
明日旅行に行ったら、収入は止まる。
そういう仕組みの中で、僕はずっと生きてきた。それが当たり前だと思っていたし、疑うことすらなかった。49歳になって、初めてその当たり前を見つめ直している。
量子力学を学んでいると、ふと思うことがある。粒子は観測されるまで、複数の可能性を同時に持っている。「これしかない」と決めた瞬間に、他の可能性は消えてしまう。
仕事や収入も、たぶん同じなんじゃないか。
この問いを、僕はこれまで一度も考えたことがなかった。考えなくても生きてこられたから。でも、一度考え始めると、もう前のようには働けなくなった。
「写真家である」という一つの状態に自分を固定してしまうと、それ以外の可能性が見えなくなる。そうじゃなくて、いくつかの可能性を同時に持ったまま、揺れながら歩いていく方が、今の時代には合っているのかもしれない。
そんなことを考えながら、最近は写真以外の収入の柱についても、少しずつ手を伸ばし始めている。まだ何も確立していないし、偉そうに語れることは何もない。ただ、「収入は一つでいい」という思い込みを、一度外してみている最中だ。